妻籠宿
妻籠は、1601んん、時の将軍、徳川家康が宿場町制度を制定したときに、正式に宿場町として指定されました。妻籠宿は、江戸から京都までの全長530kmの中山道に沿って合計69あった宿場町の42番目でした。中山道には、太平洋岸に沿って伸び、歩きやすかった東海道ほどの利用者はいませんでしたが、2年毎に大名を各自の国から参勤させた参勤交代制度においては重要な役割を果たしていました。1868年には、日本の主権が天皇へと奉還され、幕府が終わりを迎えました。1892年と1909年にそれぞれ開通した国道や鉄道の新設により宿場町としての機能を失った妻籠宿は、徐々に衰退していきましたが、1968年には、妻籠宿の保存に向けた取り組みが始まりました。戦後日本の奇跡的な経済成長により、昔ながらの生活様式が一掃されようとしていた時、妻籠宿の伝統的な街並みが国民意識の琴線に触れたのです。1976年には、町と周囲の山々を取り囲む1,250ヘクタール弱に及ぶ妻籠地域が正式に保存地域として選ばれました。妻籠の建物の34%は、江戸時代から第二次世界大戦前までに遡る建物です。妻籠は、日本の町並み保存運動の草分けとなり、そのモデルは手本として広く全国中に広がっています。
基本情報
- 住所
- 〒399-5302
長野県木曽郡南木曽町吾妻 - 営業時間
- 終日
- 休業日
- 無し
- 料金
- 散策自由
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